「紙か電子かと幼稚な議論する場合ではない」——京極夏彦氏が電子書籍を語る :ニュース |
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京極氏 電子書籍が一般的になると出版社がいらない、と極端なことを言う方もいるが、私はそれもないと思う。データ配信と電子出版は違うものだと私は考えている。面白い小説は素で読んでもらえればよい、と言うのは傲慢だと思う。テキストデータは単なるデータに過ぎない。小説家がいかに小説を書いても、出版社がいないと書籍にならない。出版社の方に渡して本にしてもらい、さらには読者に読んでもらった時点ではじめて完成するもの。
音楽に例えれば、テキストは楽譜に過ぎない。楽譜を一般の人に配っても、分かる人しか分からない。きちんとしたプレゼンテーションをしないと商品にならない。商品にするためのほとんどの努力は、作家ではなく出版社がしてくれるもの。分かりやすいレイアウトもフォントもコンテンツのうち。そうした考え方が欠如している。
書籍は日本の文化が、木で版を彫っていた時代から何百年もかけて積み重ね、読みやすいツールとして大成してきたもの。装丁もフォントも、それが電子書籍になったらいらない、ということにはならない。そうした文化的な価値を捨ててしまっても自分の作品が感動を呼び起こせる、という過信のある人だけがそういうことを言う。日本語は縦書きも横書きもでき、文字種も選べ、ルビも付けられる。知覚言語としてこれほど優れたものがありながら、ルビも改行できないものを出版とは呼べない。書籍を作るのは出版社であり、出版するのは出版社であると思う。
さすが。京極先生は良いことを言う。必読!
投稿者 x2tw2s | 返信 (1) | トラックバック (0)